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概要

第三次バルカン戦争とはオーストリア・ドナウ帝国、ボスニア選帝候、セルビア王国、評議会ハンガリー、ボヘミア王国、ルーマニア王国、イギリス帝国、ブルガリア帝国、フィンランド帝国、ンドンゴ王国の間でセルビア王国と評議会ハンガリー間の領土問題から2019年7月25日に勃発した戦争である。
アドリア海の海戦に参加したウジツェ改型潜水艦1番艦『ウジツェ』
交戦国
オーストリア・ドナウ帝国セルビア王国ボヘミア王国
評議会ハンガリーボスニア選帝侯ルーマニア王国
イギリス帝国ブルガリア帝国フィンランド帝国
ンドンゴ王国
結果
ボヘミア王国・セルビア王国がEUから離反し神聖ローマ帝国を創設。波欧戦争へ

呼称

第三次バルカン戦争

背景

オーストリア=ハンガリー帝国は7月25日にアウスグライヒ(妥協)を成立させ、オーストリア・ドナウ帝国、ハンガリー王国、ボヘミア王国、ボスニア選帝侯で緩やかな連合体「ドナウ連邦」を成立させた。しかし連邦内は不安定で、特にハンガリーは評議会ハンガリーと体制・国名を変更する事態に出る。
評議会ハンガリーはセルビア王国にヴォイヴォディナ・パンノニア・ウァレリアの割譲を求める最後通牒を送付する。セルビア王国はこれを認めたが今度はさらにセルビア・マケドニア・バナトの割譲かセルビアの社会主義化を求めてきたためこれを拒否した上でヴォイヴォディナ・パンノニア・ウァレリアの割譲も改めて拒否。これによりハンガリーはセルビアに宣戦布告した。
しかし、ボヘミア王国がハンガリーに宣戦布告したことで戦争は複雑化する。ボヘミアはその後セルビア・オーストリア・ボスニアに宣戦布告。ハンガリーはオーストリア・ボスニアに宣戦布告し、セルビアもオーストリアとボスニアに宣戦布告した。
しかしセルビアは窮地に立たされる。ボヘミアとの協定でイギリスに宣戦布告され、ルーマニアにも宣戦布告を受けた。
戦争には他惑星の国々も巻き込まれる。ベルカ連邦がセルビア領イゾリアート諸島を保護すると、セルビアと戦争していた国々が非難声明を出し、ボヘミア主導で反ベルカ十字軍を結成。これにセルビアも参加する事態が起きた(セルビア政府外交官の話では『ベルカが保護の代償を要求しないわけがないという意見が出、最悪イゾリアート諸島の部分損失もあり得るため十字軍に参加した。』とのこと。)。
十字軍結成後ルーマニアはブルガリアにも宣戦布告し、バルカン半島の全国家が戦争に参加した。しかし宣戦布告は終わらない。ハンガリーはオーストリアが独立保障していたためンドンゴに宣戦布告し、スイスの軍事通行権を要求するが回答を得られず宣戦布告。ルーマニアにもトランシルバニアの割譲を求める最後通牒を送付したがルーマニアは逆にハンガリーに宣戦布告。その後ボヘミアもルーマニアに宣戦布告した。
7月28日、ボヘミアがフィンランドに宣戦布告。おそらく戦争の意図はなかったものと思われる。
7月29日にはボヘミアがオーストリア・ルーマニアと白紙講和。オーストリアもハンガリーと白紙講和するがボヘミアの抗議を受け再度宣戦布告。
その後ハンガリーはルーマニアとも講和するがルーマニアも再度宣戦布告し、ハンガリーは再度全ての周辺国と戦争状態になった。(ルーマニアはその後ハンガリー・ボスニアと講和している。)

戦闘

コラビア航空戦

7月27日、ブルガリア空軍は空襲のための制空権獲得のためルーマニア領空へと侵入。ルーマニア空軍は迎撃に出るが、5割の損害を出してしまう。一方のブルガリア空軍も4割の損害を出し、空襲は行われなかった。

アドリア海海戦

7月29日、セルビア軍は防衛戦(後述)の並行作戦としてアドリア海の制海権・シーレーン確保を狙う。オーストリア海軍はこの動きを察知し艦隊を出撃。アドリア海中部で両軍は衝突した。
空母搭載のセルビア空軍空母航空隊は大活躍し、護衛機のいないオーストリア軍攻撃機を蹂躙。海戦も海軍司令官アレクサンドル・ジラスの活躍によりオーストリア海軍を殲滅させ勝利した。自軍の損害は6隻の沈没と1隻の大破に抑え、アドリア海の制海権を確保した。

バチュカバランカの戦い前夜

海戦終了後オーストリア陸軍はベオグラードへの短時間侵攻計画を立案したが、セルビア王国諜報局(Serbian Kingdom Intelligence Service,SKIS)に情報を盗まれてしまう。しかしSKISも自軍の作戦を流出させる失態を犯した。当初セルビア軍はオーストリアと直接接する国境からの侵攻を想定していたが作戦情報の入手によりボスニア国境からの侵攻も判明。北部の第一軍の防衛範囲をボスニア国境北部まで伸ばし南部の第二軍の防衛範囲のボスニア国境南部への変更した作戦を立案したが、自軍の作戦も流出したため第二軍の防衛範囲を南部オーストリア国境〜ボスニア国境中部まで延ばし、代わりに第二軍の戦力を増強する作戦を立案。そしてオーストリア軍は作戦を開始。セルビア軍と衝突した。

バチュカバランカの戦い

セルビア軍はドナウ川・ドリナ川沿いに防衛陣地を構築。制空権確保のための空戦はセルビア空軍全機喪失・オーストリア空軍7割喪失となんとかオーストリア空軍が制空権を獲得した。空戦終了と同時にオーストリア陸軍が侵攻を開始。しかしセルビア陸軍が川沿いに布陣しているため渡河を強いられ、第五次攻勢まで行ったが全て殲滅され、オーストリア陸軍200個師団はすべて戦死・捕虜となった。一方のセルビア軍の損害はほとんど軽微。セルビア陸軍は防衛戦に勝利し、戦況はセルビア有利となった。

ハンガリーのセルビア侵攻・「20分の休戦」

詳しくは評議会ハンガリーのセルビア侵攻を参照
バチュカバランカの戦いで大勝利を収めたセルビアだったが、幸運は長く続かない。ハンガリー軍が突如セルビア国境を越え侵攻。ベチェイで停止した。その後ベオグラードにハンガリー軍が核兵器を投下。アレクサンダル2世が行方不明となり、国王不在事態を宣言したガヴリロ・プリンツィプ宰相がハンガリーと講和したが、20分で講和条約を破棄し、臨時政府をスコピエで樹立。スコピエにも核攻撃を受けるが、地下深くの臨時政府壕には影響なかった。結局セルビアはハンガリーと講和。しかしハンガリーがセルビアへ行った残虐行為は多く、特にフニャ・ミローシュがセルビアに駐留するハンガリー軍へ発布した「評議会令第440法」には
1全権の割譲
2セルビア国内におけるハンガリー軍に関する活動を無条件で認可
3セルビア軍・セルビア国庫すべての譲渡
4セルビア軍の親族の強制的なハンガリー国内への疎開
5セルビアへ原子炉303(不良原子炉)の建設
6セルビア国内の反乱分子の撃滅
7民族融和法(セルビア国内の官僚を統べて民族別に混同する法案)
ことあり、国の主権を著しく侵害したものであった。このうち実行されたのはその後セルビアの主権が回復したため1と3だけであったが、軍と国庫の全てを失くしたセルビアには継戦能力はなく、8月1日にオーストリア・ボヘミアと、8月2日にはルーマニア・イギリスと講和し、戦争を離脱した。

そして波欧戦争へ

8月13日、評議会ハンガリーが当時フランスを領有していたオーシア=ヴェルセルグ二重帝国に北フランスの割譲を求める最後通牒を送付。EU陣営の反対の中オーシアはこれを承諾。EUはオーシアに宣戦するが、ボヘミアが保護に回り、反EU陣営「神聖ローマ帝国」を形成する。EUは神聖ローマ帝国のリーダーたるボヘミア王国に宣戦布告し、波欧戦争へと繋がる。

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