君も国家を運営しよう。

0 ワラキア(ルーマニア)とは何か

 1/28、第三次世界大戦も終わりを迎え新体制による覇権が打ち立てられる最中国内異分子を排除、ワラキアの小国公爵からルーマニア全土を占領したヴラド三世によりワラキア王国(のちルーマニア大公国)が建国された。スペインを擬似的に財政破綻させヴォルドの一大帝国との抗争を制し、北米と欧州で唯一太いパイプを持ち、腑抜けた欧州連合盟主(EUの他にEMの盟主でもあった)をドイツ、スカンジナビアと共同しその座からクーデターで叩き落とした。あと紅を保管したりポテトを買ったりもしたが。欧米を股にかけ天下に覇を唱えた新進気鋭の国家であった。主な立ち位置は、『欧州連合臨時第一頭領』(のちドイツへ平和的に盟主が移る)、『北米連盟加盟国兼安全保障国』、『インターナショナル傘下』。

1 立ち上がれワラキア人!

 当時のワラキアを語るにあたってその当時の国際情勢を語らねばなるまい。まずは隣国、虎視眈々とトランシルヴァニアを狙うオーストリア=ハンガリー二重帝国、覇権国家筆頭ソビエト社会主義共和国連邦、ギリシャを植民地としたイギリス帝国。そして最後の良心トルコ(史実においては宿敵であったがこの世界線においての仲は非常に友好だった)。このうちの二国とは生涯の盟友となり、一国とは生涯のライバルとなる。
 そして世界へ目を向けると、WW3に敗北するも主要国の地位と祖国のイデオロギーをなんとか維持したドイツ帝国や、北米大陸を一括に支配したアメリカ社会主義帝国、みんなのアイドルスカンジナビア帝国、復古したローマ共和国、欧州最古の伝統を抱くブルボン朝フランス(のち世代交代によりンドンゴ朝不自由フランス)、のちにワラキアの手によって衰退の一途を辿る栄華のスペイン帝国などがひしめいていた。
※注釈 一方アジアはどうだったのかといえば、せいぜい日本と中国が小競り合いをする程度で微塵も動きがなかったため、文明発展の面で欧州に遥かに遅れを取った。
 ワラキアの歴史はフュージョナーの侵攻から始まったと言っても過言ではないのだがそこへ行くより前の段階から既に幾度となく滅亡の危機に立たされていたのだ。
 ワラキアの建国宣言をすると即座に隣国オーストリア=ハンガリー二重帝国(以後二重帝国と呼称)からこのような外交文書が送られた。
「その1 二重帝国は、貴国を前ルーマニア王国の後継国家と認める。ただし条件がある。
その2 認める代わりに、トランシルヴァニアの領有権を放棄し、自治独立させるか、二重帝国への編入を認めるべし。」
 これに対しワラキア外交官ソラーシはこの要求を拒否。一触即発となるかに見えた。
 初手からクライマックスとはまさにこの事だが、運の良かったことにこの頃の二重帝国は未だ敗戦から立ち直れておらず、大規模な軍事行動は慎まなければならなかったのである。よってこれ以上事態が進展することはしばらくなく、ワラキアは建国時からいきなり中核州を減らさずに済んだのであった。

1.5 ギリシア危機

 ワラキアはバルカンにおける自国の影響力の拡大のために当時主のいなかったギリシアに向け進軍した。が、運の悪いことに同タイミングでイギリスがギリシア進出を行い両軍がアテネでにらみ合う事態が起こる。
 新興国家ではとても敵う相手ではないものの、先に進出したのはワラキアであった。そこでワラキアはイギリスに対しギリシアからの撤兵を条件に8000万epの支払いを要求。事態を大事にしたくないイギリスもこれに同意し、ギリシア危機は免れた。ワラキアとイギリスのこの「利益ある友好」関係は生涯に渡って続く。

2 神聖緋竜同盟┃片翼の緋竜┃

 この頃ワラキアには二国の同盟が出来た。地球、四国、ヴォルド、ユ国営には三つの惑星が存在していた。その内のヴォルド星に存在したノワール帝国とワラキアは相互防衛を目的とした「神聖緋竜同盟」を締結。そこへクローシス連邦が合流し小さいながらも陣営の盟主となる。多くの国家から後継国家と承認を貰い、ようやく一独立国家としての基盤が安定した
 かに見えた。

2.5 血海協定

 話を少し遡らねばなるまい。ノワール帝国はワラキアに対してある要望をした。「フランスのヴォルド植民地拡大を食い止めるためにノワール南西部へ先に進出してほしい。」ワラキアはこれを了承し南西部に入植。フランスとも外交を行いヴォルドのジブラルタルとも呼ばれたブラッドシー(血の海)海峡の領有をフランスに認めるもおおよその地域の合併併合に成功したのである。

3 君主にとっての敵は、内と外の双方にある。これらの敵から身を守るのは、準備怠りない防衛力と友好関係である。

 理由は未だにはっきりしていない、何が原因かも。ただ一つ、一つだけ確かだったのは、「本当に愚かなのはノワールだった。」ということだ。
国際問題を一つ解決したワラキア。これにて一国家としての地位は安定したかに見えた。
 しかしこの数日後ノワールは唐突に同盟の破棄と陣営の解体を行った。次の日、国籍不明の集団が首都へ空襲、略奪と破壊を繰り返し都市を丸ごと荒廃させるという大事件が起こった。犯人は先のノワール帝国の刺客だという情報はすぐさま世界へ発信され一時国際世論は混沌を極めた。その数時間後にノワール政府から正式な最後通牒(ワラキアの保有するヴォルド領全土の即時割譲)が届いた。首都は壊滅、ヴォルド駐留軍ではとても太刀打ち出来ない。万事休したワラキア、そのもとに一通の手紙が届いた。
 送り主はソビエト連邦、内容は「構成国になる引き換えにノワール帝国即時停戦の保障」。植民地を含めての本土の保障、また交渉の末に外交の自由の条項が追加され、ワラキアは独立状態を維持したままソ連の自治構成国になった。

15.9 (外伝)ノワール帝国滅亡史

 あれ、なんか番号おかしくない?って気付いたそこの君!正解だ!この数字は1ノワールの単位にもなってるんだぜ!なんでこんな中途半端な数が単位になんだよって?それをこれから説明しよう!
 まずワラキアの序盤の大敵ノワールとは
 ノワール帝国(以後ノワール)はワラキアが建国されたのちに出来たヴォルド星においてヴォルド主要国の一角を占めた国だよ。と言ってもヴォルドの国力なんて地球の平均国家の10分の1以下だったからそんなに強いわけじゃないんだけどね。序盤はワラキアと同盟を組んで一蓮托生で行ってたんだけど君主が唐突にキレてワラキアにテロを起こしたんだ。結果ワラキア主力軍は壊滅、首都周辺も焦土になるという大損害を与えたんだ。この時のワラキアの中の人の名言で「これを書いている間にも被害はどんどん増えている。私はもうワラキア公国軍の主人ではない。全ては失われた。祖国の没落を見ずに私は死んでいくだろう。永久に。さようなら」っていうのがあるよ。(この直後に構成国化)
 その後もノワールはワラキア以外の周辺諸国ともトラブルを連発。外交的に孤立したタイミングでもう一度ワラキアと同盟(この時の俺よく許したな)するもまた破棄するよ。もう訳がわからないね
 そんな中行われたのが彼の国の運命を決めたキュバニーオークションへの参加だ。ケバブ帝国宰相バブーが古代遺跡で回収した紅色の剣(通称:紅)をノワールとサンディカリストで競り合った。平均1億ep程度で取引されていたにも関わらず、両者のプライドが引き下がることを拒否し、3億、5億、10億、15億とはね上がり、観客の熱狂は最高潮に達した。(なお、この最中で両国は国庫が底を尽き他国からの融資で戦っているため、どちらが勝つかに賭ける一種のギャンブルと化していた)
そしてついにノワールが発した金額こそがこの「15.9」だった。
 流石にこれ以上の出費は自国の破綻をもたらすと思ったサンディカリストはこれにてサレンダーし紅色の剣はノワールの手に渡った



 紅を手に入れるために支払った金額の余りの膨大さと国庫をそんなものに使い借金までした王室に対して全国民が蜂起。全国規模のストライキが起き、治安は乱れに乱れ、軍内部から蜂起側へ寝返る集団も出るほどに混沌とした。これがユ国営史上名高い「15.9事件」である。
 この愉快なニュースを聞いた全世界の国家はあちこちにて「15.9キャンペーン」を開催。国営スーパーの全商品15.9%引きや15.9算、1ノワール、15.9の数字の清さを崇める15.9教がワラキアにて成立し国教化。ケバブ帝国も一時期国号を15.9に統一。あらゆる概念が1ノワールとなった。
 なおこの結果ノワールは崩壊し焦土だけが残った。
ワラキアはノワールという最大の障壁をまさかの方向から破壊することに成功したのである。(ちなみに本物の紅はこの時紛失しレプリカ品が出回っている)

4 異次元からの侵略者

 ノワールの崩壊からしばらくの間、ワラキア周辺には安息の時が流れていた。隣国の二重帝国の脅威こそあれソ連の傘下に入ったためそのソ連に対し絶大なトラウマを抱えている二重帝国ではもはや手出し出来なかったのだ。首都の復興も完了、国内の隅々まで鉄道は行き渡り軍の再編成も完了しようやく立ち直り始めた頃、スペインにて異変が起こった。
 「とりあえず核ぶっ込めばよくね?」と言ったのはスペイン陸軍司令部。スペイン領上空に出現したワームホールに核兵器を発射ァ!した結果向こうの者がぶちギレた。その結果始まった宇宙戦争こそ「フュージョナー戦争」である。
 フュージョナーは地球のあらゆる場所に同時に展開。しかも自己分裂を行うというトンデモ個体だった。これに対して地球はひとまずこいつらを追い払うことで一致団結。ソ連は中東、アメリカ方面を主導、ワラキアがスペイン本土のワームホールから現れた個体を撃退するという作戦が採られた。

4.5 [補足]その頃のスペインは

 のちにフュージョナーを召喚したのはスペイン政府だったことが判明した。理由は「国内で大内戦が勃発していてそれを片付けようと思った、こうなるなんて思いもしなかった」から。
 この一件からスペインに対しては何をしてもいい空気が出来、これより前から行われていたスペイン爆撃(ス爆)の文化が正当化された。

5 フュージョナー戦争

 フュージョナーは相手の兵装を模倣し作成する能力があり、戦車でさえ模倣したという報告が現地兵より届いた。そこで白羽の矢が立ったのが歩兵主体でなおかつ防衛戦争を経験していたワラキアである。
 ワラキア軍は世界各国に呼び掛け世界連合軍を組織。フュージョナーに対しフュージョナーを超える兵数による物量戦を展開し辛くも勝利した。他の地域のフュージョナーもどうにか殲滅し地球滅亡の危機は免れた。
 一方スペインは戦争中自国の非を認めていたもののそれが終末するにつれて態度を好転。ワラキアが支援国を代表して今回の件に関する賠償金を請求するも一時は一銭も払わない態度を見せた。
 この行動に対する抗議の意味を含め連合はスペイン本土に大爆撃祭を開催。ワラキアがフュージョナー拡大阻止のために建設した三重要塞をC4で爆破解体。空中からはクラスター爆弾がプレゼントのように降り注ぎます。なんて綺麗な花火でしょう。
 その後第三国の仲介により要求した賠償金を獲得することは出来なかったもののスペインの所有する全資産を獲得することには成功した。
 報酬を分配したのちにワラキアはその資産を全て国内産業に向けて投資。「ワラキアの春」と呼ばれる産業大革命が発生した。この頃からワラキアはソ連の構成国でありながら欧州の強国と見られる事が増える。

6 ディキシーの夜明け

 フュージョナーの一件により軍事外交経済の全てにおいて発展した我が国は対外政策に目を向け始めた。この頃世界では植民運動が加速しており、これに遅れを取るまいとインドネシアのスマトラ島、南アフリカ南東などをそれぞれ自治入植地として編入した。(南アフリカでケバブ帝国と小紛争が起きた)
一方でワラキアは他の欧州諸国と同様に新大陸にも目を向け始めた。しかしこれには問題があった。
 当時のアメリカは構成国二か国を完全に自国の支配下に置き大帝国を形成していたのだ。この陣営が存在する限り誰も新大陸には手が出せなかったのである。
 アメリカの稲妻、のちのディキシーランド二代目大統領「雷光」ライトニングが秘密裏に「南部解放レジスタンス」を組織し、さまざまな組織へ向けて協力要請を行っていた。
 南部の独立のため目的を同じくした同志の面々をここでは軽く紹介しよう。
 まず南部レジスタンスに対して国家の総力を挙げ全力で支援することを表明した我らがワラキアの主ヴラド3世、ワラキアはこの頃既に陸軍力は世界高水準に到達しつつあったため実地における戦闘を任された。(民兵の専門家)他にもソ連外相を名乗る「裏工作の専門家」、ケバブ皇帝を名乗る「資本家」、イギリス伝承のあの人を名乗る「暗殺の専門家」、オーストリアの「反乱の専門家」、そして国際指名手配中のテロリストを名乗る「テロの専門家」。
あらゆるジャンルのプロフェッショナルが結集しアメリカからの独立を支援することに同意し合った。
 独立戦争の推移は南部政変?を見るとより詳細に理解できるだろうが、ここでも簡単にまとめておく。
1 アメリカ国内の主要サーバーダウンさせ情報が入ってこなくなるようにする。
2 某国から衛生兵器が降ってくる。
3 某国と某国がテロを起こして民衆を扇動する。
4 某国がアメリカに直々に宣戦布告し援軍と共に装備を市民へ分配し現地で武装蜂起させる。
5 アメリカ崩壊!南部独立大勝利!
(暗殺と反乱のプロフェッショナル、いる……?)
 何はともあれ無事に南部独立は成功し、ワラキアとディキシーランドはこの後最後まで唯一無二の親交国となるのである。

この結果、ワラキアはディキシーランドら新政府に信頼され北米利権を得ることに成功する。数日後、ディキシーランドが主導した各地の蜂起勢力による衆の連合体「北米連盟」に加盟する。(加盟当初は北米内において軍隊の指揮権を剥奪、軍の駐在を禁止されていたがのちに全て撤廃)北米勢力を統治下に置き国際的な立場を確固足るものにしたワラキアは植民地獲得のための戦争を行う準備を着々と始めていた。

7 北米連盟[海を超えても繋がる絆]

 南部政変の起きた二週間後、地方分離独立し数ヶ国が自立した北米大陸において一つの陣営が旗を挙げた。
北米連盟。のちにワラキアが世界に影響を与える
国家となるのを支える陣営である。
 この時欧州では主のいなくなった北米大陸の新たな支配者になるために水面下で様々な構想が張り巡らされていた。特筆するべきなのは、二重帝国とワラキアの対立だろう。南部政変において南部の独立に協力したこの二国はあれから北米利権の獲得競争を行っていた。ここで重要なのは二重帝国が恐喝外交で従わせようとしたのに対してワラキアは全面的に相手の要求を飲んだことである。元よりはじめから直接参戦し功績を立てたワラキアが有利なことは変わらないのだが、その状況をひっくり返そうという焦りから恫喝をしてしまったことが二重帝国の北米外交の失敗点だと言える。一方でワラキアは、新大陸における軍隊の指揮、配備の権利を放棄、入植地となるニューファンドランド島は北米連盟が管理するという条件を全て呑み、形だけでも北米連盟へ加盟した。この事で互いに信頼感が生まれ、のちに上記の規制は少しずつ軟化、解除されていったのである。
 アメリカのいなくなったあとの北米を制したのは、二重帝国よりも歴史が浅いにも関わらず適切な態度で接する事が出来たワラキアであった。

7.5 北米連盟についての簡単な補足

 北米連盟は主義主張の異なる五つの国家が「対米」、「攘夷」の目的のもと団結した陣営である。ミシシッピ川以東に集中しているこの国家群は欧州国家にとっても都合がよく、様々な国が構成国にしようと何度も進出を試みたが、その度に弾き返された。
 その状況を打破したのがワラキアである。彼らに対して「都合のいい国家」の態度を見せることで安全の保障と引き換えに現地の資源を提供してもらう関係が成立した。
 ワラキアを語る上で外せない存在であり、最高のパートナーである。

8 欧州大戦 ーワラキアの野望ー

 ワラキアが北米外交に注力する中衝撃のニュースが一面を飾った。
「ケバブ帝国、欧州主要国家へ宣戦布告。」
ソビエト連邦、ドイツ帝国、ローマ共和国、不自由フランス、スカンジナビア帝国、そしてルーマニア王国(のちにワラキア大公国に改名)と交戦状況に突入す。
ケバブ陣営中立欧州陣営(+インターナショナル)
ケバブ帝国(盟主)オランダ(まよEM)ドイツ帝国
オーストリア=ハンガリー二重帝国アイスランド共和国ローマ
ワラキア(のちEUへ加勢)不自由フランス
イギリス帝国スカンジナビア
ソビエト連邦
 当時半ば骸骨化しつつあった欧州陣営「EU」はこの危機的状況に際しても有効打を打つことが出来なかった。何故なら、当時のEU盟主オランダは国力だけ見れば全てにおいて世界一位の国力を保持していたがその力を行使せず、保守することのみに心血を注ぐようになってしまったのだ。結果オランダは欧州連合の盟主であるにも関わらず中立を宣言。頼みの綱が切れた欧州は大混乱を迎えた。
 一方ワラキアは野望を抱いた。
それは欧州を単一国家とする、欧州による世界平和。『パクス=ヨーロピアン構想』である。
『パクス=ヨーロピアン構想』の実現には、既存のイデオロギー全てを破壊、秩序の再構築が必要となる。つまり、一度全ての国家を征服しなければならない。我々にはとにかく時が必要だった。

8.5 我毳密約

「ワラキア大公国はケバブ帝国と交戦を行わない。」
「ケバブ帝国が不自由フランスを占領した場合ワラキアはEUを脱退し欧州に対して宣戦布告する。」
ワラキアは密約通り欧毳戦争を傍観。どちらが勝つのかを見定めていた。

9 我が祖国

 ケバブ帝国が最初の標的としたのがフランスであり、苛烈な上陸作戦が展開されついにパリが陥落した。のちに知ったことだが、ベネルクスはこの状況になってもなお中立を維持できると思っていたようだ。なおEUではまよ(オランダ)を除いた有力国家ら(ドイツ、スカンジナビア、ローマなど)が対毳帝国に向けて兵を率いる事が出来る指導者を欲していた。ドイツ帝国はオランダを省いた他二か国の主要国を召集し臨時大総統の任命投票を開催。
 投票結果によって、主要加盟国全会一致のもとにワラキアはEU軍事大総統に任命されたのである。

9.5 戦前外交

 ワラキアがEUの全権限を一時的に掌握はしたものの、欧州が一致団結したかと言えばそうではなく、ケバブ帝国に軍事支援を行うイギリス帝国や隣国の首都が落ちたにも関わらず中立したままのオランダやEM加盟国のアイスランドなどがいた。
 これに対してスカンジナビアは軍事大総統の決定決議とは別にケバブ帝国のライバルとして名高いソビエト連邦の欧州陣営への参加を決議。こちらも承認されソビエト=EU対ケバブ陣営が成立。戦争はフランスとケバブの戦争から欧州とケバブ帝国の戦争へと発展した。
 一方イギリスはこの陣営の設立と共に陣営へ参加。超大国二国とEU代表のワラキアによる「三国協定」が発足した。(この協定以降ワラキアははっきりと宣言された訳でもないがソ連と同地位で外交を行った事から独立したと考えられている。)

10 アムステルダムのクーデター(EM粛清作戦)

 オランダ側の視点はやる夫はオランダ元首となり第四次世界大戦を生き延びるようです.part1より

 当時のEM陣営国家は極端な避戦主義者らが国内に跋扈しており盟主であるオランダはEU盟主であるにも関わらず欧州の危機を傍観し続けていた。
 EM陣営は当時の欧州全体の軍事力の約50%を所持しており、彼の国の参戦がなければ精鋭揃いのケバブ帝国軍に太刀打ち出来ない情勢であった。当初ワラキアらEU代表はオランダへの譲歩を行い軍は全体の10%、あとは資金援助のみでいいとしたのだが、当時のオランダ国家元首マヨルカ=テメーはこの約定を否定。既に戦闘が開始されているにも関わらず軍隊を撤兵し資金援助も当時の1%以下に抑えられた。その後オランダは再中立宣言を行い自国へ引きこもった。
 欧州の裸の王に対しついに堪忍袋の緒が切れたワラキア、ドイツ、スカンジナビアはソビエト連邦の協力を借りアムステルダムにおいて武装クーデターを敢行。オランダ国内の軍部と協力し腐敗した政府高官を軒並み更迭。アイスランドも同時に征服しEM陣営を事実上解体した。

10.5 ヴォルド動乱(蘭ユーロ暴落)

 ワラキアにより本国から追放されたオランダ政府はヴォルド星へ辿り着いた。自国の軍隊をオランダ自身が作成したEUの権限により全て奪われたオランダであったがその資金までは回収されることはなかった。
 オランダはヴォルド星にオランダ臨時政府を建国。後継国家を主張しヴォルド大陸全国家に向け宣戦布告。国庫の全てをヴォルド中の傭兵にばらまき単純計算で4000万人以上の人手を調達。手始めに隣国ローエングラム伯国へ向け侵攻を開始…するかに見えた。
 作戦当日、オランダ臨時政府首都へ集った兵は一人も居なかった。理由は単純である。
 クローシス連邦、かつてワラキアの神聖緋竜同盟に一時加盟しノワール脱退ののち連鎖的に離脱したものの、その後強大化したワラキアによって人知れずフルボッコにされた過去がある。オランダ臨時政府の傭兵集団のうちほとんどを占めていたのがこのクローシス連邦国民であった。
 当初は意気揚々としていた彼らであったが、本国クローシスがワラキアによる最後通牒にビビりまくり軍事行動を自粛。結果、金をもらったにも関わらず本国に帰らざるを得なくなったのである。
 この出来事でオランダ政府は遂に我を忘れ、元首は自決。これを以て欧州最大の経済軍事国家であったオランダはその歴史に幕を下ろした。

11 欧州大戦終結

 オランダがEU陣営に取り込まれた事によって勝機を失ったケバブ帝国、オーストリア=ハンガリー二重帝国は士気が崩壊。フランス上陸軍は英国の海峡封鎖により完全に孤立し、EU軍はもはや虫の息となったケバブ軍を殲滅し、パリを奪還した。二重帝国も単独でドイツ帝国と講話。そののちにケバブ帝国へ宣戦布告した。
 ソビエト国境部から進撃する欧州連合軍を見て時の皇帝ケッバーブ23世は「EUの団結がなければ我々は勝っていた。あと三年、いや一年あれば欧州は我々のものだった。」と言い残し、ここにモンゴル帝国の再興と謳われたケバブ帝国は滅亡する。

12 欧州仕置

 ワラキアは欧州大戦後の論功行賞を一手に担った。
 まずはじめに、EUは旧体制から新体制への舵取りを行い、ワラキア、ドイツ、スカンジナビアを加盟国の上に置き、盟主を三国のうちから加盟国による票1票に加え主要国それぞれの1票、合計四票の選挙方式で決めることとなった。(第一回 ワラキア、第二回 ドイツ、第三回 ドイツ、第四回 スカンジナビア…)
 そして今大戦で共に戦ったソビエトとイギリスには加盟国とは別の地位、協力国としてEU議会残留を許した。
 大戦後ワラキアはオランダより滷獲した軍備を全て資源に戻し民間へ流し手に入れた資金でもってEUの戦時国債を賄い、各国の借金を帳消しにした。特に自国を顧みず、欧州平和のため全力を尽くしたスカンジナビアには称賛と共に多額の低額融資が行われた。
 一方でワラキアは二重帝国への警戒も怠らなかった。終盤でEU側へ寝返ってはいた二重帝国ではあるが、ドイツやローマ、ワラキアへの領土的野心を失ったかといえばそうではなく、むしろ新たに即位したヨーゼフ二世が武断派であることもあり欧州は未だに緊張状態を解除するわけにはいかなかった。
 この問題の為にワラキア、ドイツ、ローマ、は秘密裏に対オーストリア包囲網を形成し、有事の備えを磐石なものとした。

13 欧波戦争

 オーストリアの内情は複雑なものとなっていた。先の大戦で本土失陥は免れたものの莫大な戦費と税率の引き上げ、労働力の要たる成人男性の大規模徴兵による産業力不足。それに加え地方では民族独立運動の嵐が吹き荒れていた。
 その中の一国、ボヘミア保護領。かつてオーストリアの占領政策により独自の王政が廃止され、直接支配を受けていた地域である。
 のちの世に「アッティラの再臨」とまで畏れられ、戦後間もない欧州に覇を唱えた男、センバブ。貴族幼年士官学校を卒業後ケバブ帝国軍士官学校へ留学、用兵術と生まれついての戦略眼を同地にて極める。欧毳戦争に作戦参謀としてケバブ軍に従軍、パリ上陸作戦にも参加し戦功を上げたのちEU軍へ降伏。本国へ送還後「ボヘミア民族解放戦線」の指導者として二重帝国からの離脱を虎視眈々と狙い続けていた。
 そして

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

メンバーのみ編集できます