最終更新: peru_inca_empire 2019年08月10日(土) 15:51:15履歴
国旗 | |
国章 | |
国名 | ボリバルの大インカ帝国 |
国歌 | 我らの光、帝国の太陽 |
国の標語 | 南米の盾となれ |
産業 | 鉱業、製鉄、観光 |
国王 | トゥパク・ユパンキ |
政治体制 | 立憲君主制(ある程度国王の権力はある) |
政策 | 南米の結束 |
首都 | マチュピチュ特別直轄区 |
人口 | 6723万人 |
GDP | 53億2129万ドル |
通貨 | インカ・ペサ |
所持EP | かなりの頻度で変動 |
国家レベル | 大国(Lv9) |
外交垢 |
(当時の)ペルー=インカ帝国外務省発表
我々ペルー=インカ帝国は正式に旧ペルー全域を支配し、新たなる国家としてペルー=インカ帝国の建国を
宣言する。我々ペルー=インカ帝国のラス・パンテーラ総統閣下は、1572年に忌まわしきコンキスタドール共によって支配された我らの大地を、
再びケチュア族が統治するために帰ってきた英雄である、今後国家の運営はラス・パンテーラ総統が独裁によって行われる。
我らペルー=インカ帝国は再び偉大なる歴史であったインカ帝国を再興する!
我々ペルー=インカ帝国は正式に旧ペルー全域を支配し、新たなる国家としてペルー=インカ帝国の建国を
宣言する。我々ペルー=インカ帝国のラス・パンテーラ総統閣下は、1572年に忌まわしきコンキスタドール共によって支配された我らの大地を、
再びケチュア族が統治するために帰ってきた英雄である、今後国家の運営はラス・パンテーラ総統が独裁によって行われる。
我らペルー=インカ帝国は再び偉大なる歴史であったインカ帝国を再興する!
我が国の北部、コロンビア地域は第三次世界大戦後、当時のURの圧力によってドイツから譲渡された土地で、我が国はノースペルー州と呼称しています。
この駐屯地は我が国の大西洋戦略の要となる帝国第二艦隊の母港となるバランキージャの防衛のために建設され、主に第三北部方面軍が駐屯しています。また我が国最大のインフラ「超広軌鉄道」の引き込み線が引かれており、本国の各地に急速に展開することを可能にしています。
駐屯地にはマランボ空軍基地が併設されていて、第68実験飛行団「Sol」が配備されており、同じノースペルー州に位置する軍需企業「North Peru Grunder I.G社」の新型航空機の試験が行われています。
この駐屯地は我が国の大西洋戦略の要となる帝国第二艦隊の母港となるバランキージャの防衛のために建設され、主に第三北部方面軍が駐屯しています。また我が国最大のインフラ「超広軌鉄道」の引き込み線が引かれており、本国の各地に急速に展開することを可能にしています。
駐屯地にはマランボ空軍基地が併設されていて、第68実験飛行団「Sol」が配備されており、同じノースペルー州に位置する軍需企業「North Peru Grunder I.G社」の新型航空機の試験が行われています。
世界第二位の産出量を誇る銀を筆頭に、金や銅などといったアンデス山脈で産出される資源の一括管理を担う国営公社。
- 資本金5000万ED
- 本社所在地 マチュピチュ
- 鉱業
1533年 コンキスタドールによってインカ帝国滅亡。
国内は持ち込まれた病原菌によって壊滅状態となり、人口が最盛期の1600万人から108万人にまで減少する。
1811年 ホセ・デ・サン=マルティンによってペルーは独立戦争に突入。
1821年 ペルー共和国はスペインに勝利し、独立を手にするが、国内は不安定となりテロ組織やカルテルなどが闊歩することとなる。
1993年 これまでの犯罪組織が台頭していたペルー共和国に対し、偉大なるインカ帝国を復活させることを目的とした組織、ペルー=インカ復古運動の手によってペルー共和国は内戦に突入、数日のうちに政府機関が掌握され、終戦。ペルー共和国は反乱軍に敗北し、指揮官ラス・パンテーラ総統による施政にてペルー=インカ帝国になる。
1998年 ラス・パンテーラ総統は高齢を理由にその座を退き、ペルー=インカ帝国はこれまでのファシスト的な政治体制から、第14代サパ・インカ「トゥパク・ユパンキ」による王政へと移行する。
2015年 ペルー=インカ帝国は旧チリ=サーモン連邦の内チリとボリビアを継承し、国名をペルー=インカ帝国からボリバルの大インカ帝国に変更した。
国内は持ち込まれた病原菌によって壊滅状態となり、人口が最盛期の1600万人から108万人にまで減少する。
1811年 ホセ・デ・サン=マルティンによってペルーは独立戦争に突入。
1821年 ペルー共和国はスペインに勝利し、独立を手にするが、国内は不安定となりテロ組織やカルテルなどが闊歩することとなる。
1993年 これまでの犯罪組織が台頭していたペルー共和国に対し、偉大なるインカ帝国を復活させることを目的とした組織、ペルー=インカ復古運動の手によってペルー共和国は内戦に突入、数日のうちに政府機関が掌握され、終戦。ペルー共和国は反乱軍に敗北し、指揮官ラス・パンテーラ総統による施政にてペルー=インカ帝国になる。
1998年 ラス・パンテーラ総統は高齢を理由にその座を退き、ペルー=インカ帝国はこれまでのファシスト的な政治体制から、第14代サパ・インカ「トゥパク・ユパンキ」による王政へと移行する。
2015年 ペルー=インカ帝国は旧チリ=サーモン連邦の内チリとボリビアを継承し、国名をペルー=インカ帝国からボリバルの大インカ帝国に変更した。
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