ベルカ公国は極北の大国という立ち位置からインフラ整備を放棄した軍拡に迫られていた。3月1日、ベルカ公国
*1の総統モンティナ・マックス氏に代わり総統代理ヌガローゴ・オシツ・ケタ・エーラーン氏が政治を執る。
これによりベルカ公国は経済発展に成功し再びヴォルドの大国の座を確保した。この時にはすでに経済的余裕から宗教への寄進の機運も高まっており、ベルカ公国は数億年前にヴォルドにて信仰されていた蛇神に近しい神である「母なる蛇」を崇めだした。これがきっかけで4月半ばにはベルカ公国はオフィリウス真理教を国教とする初めての国家となる。
対する煌帝国はヴォルドのシチリア・大妹の二国に並ぶ実力者として名をはせており、これら三国ではヴォルドにおける秩序の維持のための三国同盟を締約していた。
しかししばしば旅行者をはじめとする各国人民の煌帝国内における人権を剥奪するなど国家主権を侵害しこれを逸脱する行動が目立っていたことが確認されている。
両者の間が緊張状態となっていたのは想像に難くない。
4月17日、モネート大陸における両大国の干渉地帯である旧田斉地域に大日本帝国が建国される。
煌帝国は大日本帝国の建国を非難し、武力侵攻をも視野に入れた威圧外交を展開。これにベルカは大日本帝国の保護を申し出、両者の勢力圏が隣接したことにより国際緊張度が高まった。
ベルカ公国に対してオフィリウス真理教のNo.3にあたる有力者、メイガス・トクメイは教団ぐるみの協力を持ちかける。
メイガス・トクメイはその外交手腕により大日本帝国、大和帝国に協力とオフィリウス真理教への改宗を取り付けた。
煌帝国側は三国同盟ならびにその他各国からの介入と参戦を断り、また三国同盟に参戦を断られ
*2、対ベルカ戦争を自国のみで決着をつけることを宣言。
そうして4月21日、煌帝国の同盟国であるアトランティス国家元首宅で大規模な強襲がベルカによって行われたと報道された。また同日、煌近海でもベルカ公国と思われる塗装が施された戦艦数隻が煌帝国の湾岸地域に砲撃したとの報告が沿岸警備隊よりもたらされるなどして宣戦の事由が積み重なっていく。
そんな中煌帝国はベルカ南部の土地の所有権を主張しこれに植民地を設置。空港を整備するなどして前線基地化を整えた。
満を持して4月22日、煌帝国はベルカ公国に宣戦布告した。