ユーラシア国家運営Wiki - 第一次ギニア湾戦争
概要
第一次ギニア湾戦争とはナイジェリア帝国とケバブ帝国の間で2018年12月30日に起きた戦争である。
また、二帝会戦とも呼ばれる。
ポートハーコートを目指すケバブ帝国機甲師団
参戦国
ナイジェリア帝国
ケバブ帝国
軍事支援
ナイジェリア帝国領宇和島
戦力
陸軍25個師団、海軍9隻、空軍95機
陸軍40師団、海軍13隻、空軍125機
結果
ケバブ帝国勝利。ナイジェリア帝国の領土縮小
呼称
ギニア湾戦争、第一次ギニア湾戦争、下ネタ戦争など
第二次ギニア湾戦争勃発前はギニア湾戦争と呼ばれた。
第二次ギニア湾戦争はナイジェリア帝国とンドンゴ王国との戦争である。記事は
こちら
経緯
しりとり戦争
まずこの戦争と背景としてディスコードサーバーでの
ナイジェリア帝国
の行動があるがこれは省略する。
ナイジェリア帝国
の度重なる挑発により
ケバブ帝国
外交局、及び王府は憤怒し、攻勢計画に至った。
開戦
この挑発を受けケバブ帝国外交局はナイジェリア帝国に対し宣戦布告。
直ちにケバブ帝国統治下のグリーン自由国へ軍隊を派遣し臨戦態勢へ入ったのだった。
ケープタウン沖海戦
この宣戦布告を受けたナイジェリア政府は直ちに制海権の確保を名目にグリーン自由国南端のケープタウンへ進軍、ケバブ帝国艦隊も同時期にそこへ艦隊を置いていたのであった。
ケバブ帝国艦隊は数の差でナイジェリア艦隊を一掃、ナイジェリア海軍は敗走しユ国営でのアフリカ情勢史上初の戦闘が起きたのだった。
ギニア湾沖海戦・本土上陸
ケバブ帝国艦隊はケープタウン沖海戦で勝利したものの7割以上の被害を追い、増援を送ってから次なる戦略的要所となるギニア湾へ進軍したのだった。
ナイジェリア海軍は索敵の結果進軍中のケバブ帝国艦隊と遭遇、これにより艦隊決戦へ至った。
同時期ケバブ帝国艦隊は上陸艇を送りナイジェリア本土への上陸を試み、これは見事成功することになる。
ポートハーコート上陸戦・バトルオブナイジェ
上陸に成功したケバブ帝国陸軍はそのまま市街地を目指そうとする。
これによりナイジェリア陸軍も同時に防御体制へ移行。どちらも殲滅を撤退条件としユーラシア国家運営史上初の上陸作戦が始まった。
ケバブ帝国軍は制空権確保の為空軍を送るも植民地とナイジェリア本土の距離を考慮し戦略爆撃機だけを出陣させ、消極的観測で戦いに挑んだのであった。
往復9000kmもあるギニア湾を超え、ナイジェリア空軍と交戦状態に入った。
これにより記録的大空戦が始まる。
大空戦
総勢50機とかなりの大兵力であったケバブ帝国軍であったが、研究の差と距離の関係で士気は大低下。
そのままバトルオブナイジェはケバブ帝国空軍が殲滅されナイジェリアが勝利したが、ナイジェリア空軍もかなりの損害を被った。
ポートハーコートの戦い
ポートハーコート上陸戦では比較的ケバブ帝国陸軍が数で優勢だったものの、ナイジェリアの巧みな戦術とバトルオブナイジェの制空権の確保失敗により陸軍戦力はほぼ壊滅。損害9割とかなり痛手だがナイジェリアが防衛での勝利を収めた。
第二次バトルオブナイジェ
ポートハーコート上陸戦とバトルオブナイジェでケバブ帝国は疲労したものの、次なる第二波攻撃の為ケープタウンにて準備を進めていた。
ケバブ帝国は全艦隊と空軍戦力を向かわせて今更なる大空戦が開始されようとしていた。
ケバブ帝国空軍はナイジェリア空軍に奮闘したものの全機被撃墜と制海権の確保までは行かなかった。この空戦はナイジェリア空軍の名誉の戦いとされる。
ケバブ帝国艦隊は空戦を垣間見て全艦隊に撤退指示を出したのであった。
降伏・終戦
しかし陸海空軍共に疲労が広がっていたナイジェリア空軍はケバブ帝国に降伏。
講話はテキサスで行われ
・史実のナイジェリア連邦共和国の領土への縮小
・1000億EPの賠償金
この要求をナイジェリアは承諾しギニア湾戦争は終戦したのであった。
影響
この時の参戦を義務でしようとしたUTPの行動は列強諸国の怒りを買い日本とUR、そしてインターナショナルの対立を生む火薬となる。
また、この戦争の発端がナイジェリアの下ネタ発言であったことから一部では「下ネタ戦争」と呼称されることがある。
題材とした作品
「バトル・オブ・ナイジェ」1999
関連項目
ケバブ帝国
ナイジェリア帝国