サンサルバシオン国第二共和政はほぼドー族(ドー民族、道民とも)の単一民族国家である。従って、これはドー族の見解ということになる。
ドー族は少なくとも紀元前1000年頃には四国星に居住していたと考えられるが、それ以前は「ホッカイドウ」と呼称される今は沈没した古ニッポンレットウの大陸の1つに居住していたと思われる。
我々の国旗にも描かれている「道民のシンボル」は長い間なぜその形を成しているのか不明だったが、西暦1853年、地球と四国星が初めてワームホールで繋がり、彼らの探検隊が四国大陸を訪れた時、彼らの「北海道」とシンボルの類似性が初めて指摘された。
現在、シンボルは当時ホッカイドウに我々が住んでいた名残の一つであると考えられている。
ここからは、四国移住後の大まかなドー族の歴史を記述する。なお、ホッカイ歴ではなく、西暦を使用する。
紀元前1100年頃 四国大陸への移住と定住。何らかの理由で組織的に移住が行われた様である。
紀元前1000年頃 コメの栽培に成功。一気に民族全体に広まったと見られる。
紀元前750年頃 現在のサンサルバシオン沿岸部にいくつかの都市国家が出現。
紀元前725年 文字の使用が確認される。飛躍的に歴史を知るのが容易になった。まぁ細かくやらないけど
紀元前600年頃~439年 群雄割拠時代。都市国家の乱立。
紀元前439年 イシュヴァールにより、初めてドー族が統一される。
紀元前402年 イシュヴァール、内乱で崩壊。
紀元前374年 ブラットレイ王によるドー族再統一。アメストリス建国。
紀元前344~333年 第1次ムノウ戦争 決着つかず、ブラットレイ王の死で休戦。
紀元前310年~276年 第2次ムノウ戦争 紆余曲折の末カラサーワは地上から消滅した。アメストリスの力を絶対のものとし、これ以降アメストリスは近隣諸国に冊封体制を敷くことになる。
紀元前300年頃~紀元7年 アメストリスの安定的な統治によりもたらされた黄金期。芸術面は固有のものが発達し、輸送網が整備され商工業が発展した。豆知識:5代国王マスタング。錬金術という独自の科学形態の開発に大きく貢献。テストに出るよ
紀元7年 山岳民族の侵入。アメストリスの衰退と保護国の離反を招いた。
45年 山岳民族シモキ族によるアメストリス侵攻。アメストリス滅亡。錬金術は禁書。
46年~799年 暗黒時代。文化レベルはイシュヴァール建国以前に戻り、強そうな国が出来たらシモキ族の略奪が来るので誰も統一しない。書くことない
799年 しま寇の出没。略奪には変わりないのだが、新たな交流(?)ともとれる。ここからサンサル史は活発化する。
809年 ダンツィヒの青年がしまなみから渡った技術を使い、青年団によるダンツィヒ占領と他国侵攻を開始。
810年 青年が王としてドー族に君臨。ダンツィヒ王国爆誕。
1145年 初の対外戦争勝利
1232年 ニーハマ反乱。400年たち衰退したダンツィヒ王国崩壊。追記:四国は閉鎖的なので国内のゴタゴタでもない限り滅多に国は滅ばない特徴がある。
1237年 ニーハマを新首都にしたホッカイ王国爆誕。アメストリス時代の文化復興。あと今も続くネラー王家はここから始まる
1388年 シモキ侵攻。シモキ族はホッカイ王国に服属する。
1481年 タザワ族も服属する。現在より少し大きいくらいの版図になる。
1666年 多分最大版図
1777年 王自ら王のの権限を縮小する。二院制をやる。
1780年 その流れでホッカイ帝国爆誕
1853年 地球と接触。多くの知見がもたらされる。
1855年 地球に触発されてホッカイ共和国爆誕。なお、地球由来の伝染病やら思想やらに対応出来ず、15年程で瓦解することになる。
1871年 ホッカイ第二帝国爆誕。近代化の加速
1880年頃 地球諸国の四国植民地化が始まる。チューオー平原も例外ではなかった。
1931年 ホッカイ軍事政権爆誕
1945~1950年 軍事政権下で全方位戦争を開始する。しなまみ勢力を完全に瀬戸内海に追い出すものの、各地で敗北。源五郎は馬鹿げた戦争という認識である。
1950年 ホッカイ第三帝政爆誕
1960~1977年 内戦。5つほどの陣営に分かれた。最終的にはシモキ族の指導者、ジュセンパが各陣営と巧みに外交をし再統一する。
1977年 now帝国爆誕。皇帝には先代ロムッテロ一世を擁立し、荒廃した国土を0から率いた。因みにnowとはnorth ocean way、ホッカイドウの英語表記である。
1992年 ロムッテロ二世が即位、元々不評だった国名をサンサルバシオン帝国に変更。
2003年
軍上層部による 皇帝側近によるシモキ・タザワ族のジェノサイド 錬金術による 皇帝の不死化 例の事件発生。陛下は御隠居なされた。サンサルバシオン第二共和政爆誕
2005年 大災害発生。国民の8割が死んだり、インフラが百数十%崩壊したりした。
同 災害時の政府の対応は高く評価されている、軍隊の解体による武器の売却と各国の支援を取り付け、3年ほどでGDPが回復。
2007年 解体した軍隊を再建しない方針が決定。更に国家の媒体を経済主義に特化することで、奇跡のような復興を成した。