1920 ワルキジア大戦争最大の戦い、バフジの戦いが3月13日から始まる。バフジは戦略上の要所であり、両軍共に多くの死者を出した。結果は12月20日にムスモンド軍が占領。戦局はムスモンド側に傾いた。
1921 ヌーベス共和国臨時首都ワカキアが陥落し、ヌーベス共和国が降伏。
1923/3/30 戦争が泥沼化するのを避けるため、講和条約がバフジで行われた。ヌーベス共和国、リファイト共和国全土併合で講和が成立。第一次ワルキジア大戦争は終結した。
1932 ムスモンド公国内でかつてのワルキジア帝国の版図を再征服しようという運動が発生。
1942/10/22 ムスモンド公国がファルシア社会主義共和国、ヤク共和国に宣戦布告。第二次ワルキジア大戦争が勃発した。ムスモンド軍司令官ネシル・メンデンガスの考案した「電撃戦」は平原では抜群の効果を発揮。ヤク共和国は3週間で降伏し、ファルシア社会主義共和国も1945年に屈服した。ムスモンド公国の元、サースワルキジアは再度統一された。尚、ノルモフ2世は1947年に国号をワルキジア公国に改元している。
2019/2/24 ヤクーロンで左翼による活動に感化された全国の学生、労働者、軍人が全国各地で革命を起こした。軍のすべてが離反し宮殿を制圧。大公は当時地球におり、ナイジェリアの保護を受けた。ワルキジア公国は崩壊し、臨時政府が形成。共産党と国家の分離、一党独裁の否定、基本的人権の尊重などを掲げたワルキジア民主共和国憲法を採択しワルキジア民主共和国が建国された。
2019/3/3 四国星東北部鳴門地方の領有を認められる。
2019/4/2 ビスマルク諸島の領有を認められる。
2019/4/21ケバブ帝国、スペイン等との鮮血海の多国籍探査が成功。特需景気が到来。
2019/4/22 国旗を改定。
旧国旗
2019/4/26 ワルキジア民主共和国がビルマに樹立しようとしていた牟田口社会主義共和国の牟田口廉也総統がクーデターを起こし首都ムスモンドを包囲。首都守備隊の戦車1個師団と交戦した。戦車29個師団のクーデター軍の前に首都守備隊はなす術もなく、ムスモンドは陥落。ネズア・ロコエは逮捕され、ワルキジア民主共和国は終焉した。