ユーラシア国家運営Wiki - ベルリン講和条約
ベルリン講和条約は中欧同盟と協商国間で結ばれた第一次世界大戦の講話条約。
フランスの降伏によって大西洋の港を得たドイツは食糧危機を逃れ、アメリカの融資が止められたために戦争を継続する為の資金不足に陥ったイギリスは今後の戦争の継続を不可能と判断。
アジアにおいても今後の戦闘において日本への勝利は不可能で、日本もドイツへの勝利が不可能と判断したため結ばれた。

主な内容

フランス

総額約62億ドルを中欧同盟に支払う
(ドイツ55%、オーストリア18%、オスマン18%、その他9%)
アルザスロレーヌ地方への請求権を永久に放棄する
アフリカでの植民地全土をドイツへ割譲する
広州湾を放棄する
インドシナ半島をドイツに割譲する
イギリスとの同盟禁止
軍備制限や家畜の補償(省略)

イギリス

アフリカ植民地をドイツへ割譲する
香港を放棄する
指定された軍艦を建造する場合はドイツへの報告義務を負う
1922年、1925年、1928年にドイツはイギリス海軍の調査を行う。その際にイギリス海軍の軍艦数はドイツ軍の70%までの所有となっていなければならない(後に100%に改正された)
フランスとの同盟禁止
日英同盟の解消
家畜の補償(省略)

ルーマニア

総額約10億ドルをオーストリア、ブルガリアに支払う(オーストリア、ブルガリア50%)
南ドブロジャをブルガリアへ割譲する
自国領以外での領有主張を放棄する
カルパチア山脈への兵の進駐を禁止

ギリシャ

トラキア地方をブルガリアへ割譲する
クレタ島をオスマンへ割譲する
オスマン、ブルガリアの軍事通行を許可する

ベルギー

ドイツにリュクサンブール地方を割譲する
ドイツの軍事通行を許可する
コンゴ植民地をドイツへ割譲する

セルビア

総額約83億ドルをオーストリア、ブルガリアに支払う(オーストリア71%、ブルガリア29%)(後に約31億ドルに改正)
ボスニア・ヘルツェゴビナ地域の要求を放棄する
マケドニア地方をブルガリアへ割譲する
コソボ地方をアルバニアへ割譲する

モンテネグロ

オーストリア皇帝との同君連合となる

イタリア

総額24億ドルを中欧同盟へ支払う(ドイツ38%、オーストリア31%、オスマン21%、その他10%)
リビア植民地をオスマンへ割譲する
オーストリアへの領土要求を放棄する
ベネチアをオーストリアへ割譲する(後に削除されたが1925年に賠償金未履行として割譲された)

エジプト

オスマン帝国による総督府を設置し、行政を委任する

日本

中国に対して手に入れた利権をドイツへ割譲する
イギリスと同じ海軍軍縮条約
日英同盟の解消

オーストラリア

総額11億ドルを中欧同盟へ支払う(オスマン42%、ドイツ24%、オーストリア21%その他13%)

経緯

1918年のフランス降伏によって中欧同盟は非常に有利な立場にへと変わった。
イギリスによって行われた通商封鎖作戦によって中欧同盟は重度の食糧危機に陥っていたがフランスが降伏し、ドイツが大西洋への港を持ったため状況は一変した。イギリス政府はフランス政府に徹底抗戦を呼び掛けていたものの既に戦線は崩壊し、反政府運動が高まっていたことを懸念した政府は議会にて降伏への賛成が過半数を超えたことを受けドイツに降伏、16時間後には中欧同盟全体への降伏が行われた。
その後ドイツ政府はイギリス政府へ降伏を勧告したが拒否された。
ドイツ軍はイギリス軍による上陸作戦を危険視しフランス北岸に部隊を並べ、イギリス本土への空襲を開始した。
しかし空襲ではイギリスが降伏するほどの決定力に欠けており、海戦では連敗し、上陸作戦を行えなかった。
アジアでも青島が陥落し、太平洋艦隊が崩壊したために日本が降伏するほどの決定打を加えることはほぼ不可能となっていた。
ドイツでは終わらない戦争という名が付けられたものの最早危機は去ったとして通常の経済活動が徐々に戻っていった。
1919年に入るとイギリスは危機に陥る。いつまでも戦争を継続する政府に対し共産主義者などの反戦争継続派が蜂起したのである。
これは鎮圧されたもののアメリカからの融資が止められているイギリスにとっては経済的に大きな打撃となった。
これを受けドイツはイギリスへドイツ有利での和解という形での終戦を勧めた。
これもイギリス政府は拒否したがカレー上陸作戦に失敗すると一転して受け入れた。
イギリスが和解したためオーストラリアなどもドイツと休戦し、日本政府もイギリスと同じ形での和解に応じると宣言、その宣言通りドイツ有利での和解として一週間後に日本とも和解となった。

ベルリン講和会議

この戦争に参加したほとんど全ての国に対して参加が要求されたが、戦後の情勢を鑑み末期に同盟側として参戦した幾つかの国家は除かれた。
はじめに出されたのはドイツによるフランスへの要求だった。独仏間の戦いはこの戦争において最も激しかった戦いであるため、この要求が本会議におけるラインとなっていた。
初めに賠償金が読み上げられると会議場はざわめいた。フランスにはこのような金額の支払い能力はさらさら無かった。
しかし、フランスは無条件降伏したためにその要求は全て受け入れなくてはならなかった。
ドイツが初めに提案した計画は99年をかけての支払い計画だった。また、フランスが条約を遵守し履行状況が良ければ減額することを前提とした金額であると発表した。
その他多くの厳しい条項が読み上げられ、最後に一呼吸おいてアルザスロレーヌの請求権放棄が読み上げられると外交官はその場で机の上に伏して泣き出したといわれている。
少し時間をあけてからフランスがその条約に調印すると、次はオーストリアとブルガリアがセルビアへの要求を提出した。
賠償金が提示されるとセルビア外交官はそのまま議場を出て行った。セルビアでは到底払える金額では無かったからであり、それならば国民の全てを突撃させてでも一矢を報いるという意思だった。
外交官は国にその旨を通告したが、国土は既に掌握されていたために不可能と返答がきたため出て行ってから約3時間程して議場へ戻った。