プリシュティナ王国成立以前に存在したセルビア王国は第三次バルカン戦争でハンガリーに敗北したことで統治権や指揮権等を奪われ、軍備は接収された。その後解放されるが統治権は変わらずハンガリーに存在していた。その後ボヘミアやハンガリーと結託しEU諸国に宣戦布告するが、この時東兵庫選帝候で国政を行っていた時の国王アレクサンダル2世と妻マリア、そして宰相ガヴリロ・プリンツィプがオーストリア政府に殺害されてしまう。この後本土に残っていた皇太子ニコラがニコラ1世に即位。宰相はスロボダン・ミロシェビッチが就いた。
この後セルビアはボヘミアに協力しながらEUとの戦争を行っていたが、ハンガリーがセルビアの自治権をエヴリカ・ホールディングスに売却。セルビア王国はプリシュティナに遷都し、プリシュティナ王国に改名した。
2019/9/8 王国建国以降幼いニコラ1世に代わり国政を担ってきたスロボダン・ミロシェヴィッチが退任を表明したことによる宰相選挙でイヴァン・ゴシニャクが当選。2代宰相に就いた。
2019/9/15 オスマン帝国からアルバニアを割譲されるが、同日にオスマンからアルバニアを求める最後通牒。プリシュティナ王国は拒否し、オスマン=プリシュティナ戦争が始まる。
2019/10/14 サラエボ協定にてオーストリア=ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナをボスニア国として独立させプリシュティナの保護下へ入れる。初期首相にはブランコ・ジェコが就任。
ボスニア国国旗
国章
2019/11/4 プリシュティナ条約でオスマン帝国にアルバニアを割譲し講和。
2019/11/9 サラエボ条約でボスニア国を併合。