セルビア王国の首都ベオグラードは、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国、そしてその後のバルカン連邦の首都であり、彼らの首都であった。しかし、オーストリア=ハンガリー帝国等の列強諸国による分割が行われ、セルビア地域は空白化された。
2019/6/8 アレクサンダル2世、ガヴリロ・プリンツィプ率いるセルビア国民党がセルビアを掌握しセルビア王国を建国し、当時セルビア地域に蔓延っていた400万人のセルビア民警を取り込んだ。民警の内70万人はセルビア大防衛隊を結成しセルビア政府内に、その他は日常生活に戻った。
同日 南太平洋のサウスサンドイッチ諸島・トリスタンダクーニャ諸島を領有。
同日 北モンテネグロに進駐。
2019/6/9 北モンテネグロを併合。
2019/6/13 ドナウ条約機構に加盟。
2019/6/17 第二次独墺戦争でのオーストリア=ハンガリー帝国の参戦要請に応えドイツ帝国に宣戦布告。
2019/6/18 北マケドニア北部に進駐。
2019/6/21 ファグルリのイゾリアート諸島を領有。
2019/7/5 北マケドニア全域に進駐。
2019/7/6 北マケドニアを併合し、バルカン連邦政府を事実上消滅させる。
2019/7/19 モーリタニアを領有。
2019/7/21 ティムール朝と不可侵条約を締結し、南モンテネグロを譲り受ける。
2019/7/25 ハンガリー・タナーチ社会主義共和国との領土問題の対立から宣戦布告を受け、第三次バルカン戦争に巻き込まれる。
同日 ボヘミア王国、イギリス帝国、ルーマニア王国から宣戦布告を受ける。
同日 オーストリア・ドナウ帝国、ボスニア選帝候に宣戦布告。
詳しくは「第三次バルカン戦争」を参照。
2019/7/30
ハンガリー・タナーチ社会主義共和国がベオグラードに核兵器を投下、国王アレクサンダル2世やミロシュベオグラード特別市長が行方不明になる。ガヴリロ宰相は国王不在事態宣言を行いスコピエに臨時政府を樹立。
臨時政府国旗
2019/7/31 ハンガリー・タナーチ社会主義共和国と2度講和。この時一時的に軍の指揮権・領有権等を奪われ事実上の傀儡国となってしまう。
同日 軍の指揮権等全ての権利を返還されたが、国庫や軍備はハンガリー軍に接収される。
2019/8/1 オーストリア・ドナウ帝国と講和。
プリシュティナ王国成立以前に存在したセルビア王国は第三次バルカン戦争でハンガリーに敗北したことで統治権や指揮権等を奪われ、軍備は接収された。その後解放されるが統治権は変わらずハンガリーに存在していた。その後ボヘミアやハンガリーと結託しEU諸国に宣戦布告するが、この時東兵庫選帝候で国政を行っていた時の国王アレクサンダル2世と妻マリア、そして宰相ガヴリロ・プリンツィプがオーストリア政府に殺害されてしまう。この後本土に残っていた皇太子ニコラがニコラ1世に即位。宰相はスロボダン・ミロシェビッチが就いた。この後ハンガリーはセルビアの自治権をエヴリカ・ホールディングスに売却。セルビア王国はプリシュティナに遷都し、プリシュティナ王国に改名した。
2019/9/8 王国建国以降幼いニコラ1世に代わり国政を担ってきたスロボダン・ミロシェヴィッチが退任を表明したことによる宰相選挙でイヴァン・ゴシニャクが当選。2代宰相に就いた。
2019/9/15 オスマン帝国からアルバニアを割譲されるが、同日にオスマンからアルバニアを求める最後通牒。プリシュティナ王国は拒否し、オスマン=プリシュティナ戦争が始まる。
2019/10/14 サラエボ協定にてオーストリア=ハンガリー帝国がボスニア・ヘルツェゴビナをボスニア国として独立させプリシュティナの保護下へ入れる。初期首相にはブランコ・ジェコが就任。
ボスニア国国旗
国章
2019/11/4 プリシュティナ条約でオスマン帝国にアルバニアを割譲し講和。
2019/11/9 サラエボ条約でボスニア国を併合。
2019/11/30 エヴリカ・ホールディングスからの「完全なる独立」のため国名を変更。