第二次ケバブ危機とは、URとケバブ諸国らに起こった緊張関係である。
参戦を表明した国 | |
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UR側 | 反UR同盟側 |
大ブリティオ島および副王領のための連合王国 | ワラキア公国(ルーマニア君主社会主義連合公国) |
シベリア=ロシア連合 | |
ソビエト社会主義共和国連邦 | |
スカンディナヴィア連合王国 | |
ソビエト連邦 | |
ケバブ帝国 | |
日本 | |
ドイツ帝国(ゲルマニア共和国連邦) | |
チベット | |
サウジアラビア=インド連合王国 | |
オセアニア社会主義共和国 | |
中華民国 | |
トルコ共和国 | |
同盟を結んでいるが参戦を表明しなかった国 | |
バチカン=サンマリノ連合カリフ市国 | フィリピン・ボルネオ連合共和国 |
不自由フランス | |
ゾット帝国 | |
戦力 | |
約30師団 | 約100師団 |
結果 | |
サウジインドの連邦からの脱退 | |
ケバブおよびトルコとの相互不干渉・相互不可侵の締結 |
この危機の背景には、URをはじめとした、連合国とイスラーム勢力を主体としたムスリム会議によるUR=サウジ戦争があり、これは宗教的問題からURがサウジアラビア=インドに対して宣戦布告をしたと言うものである。この戦争は、メッカ陥落後にグレーター・ロンドン条約が締結されたが、サウジアラビアは、この条約に当然不満を持ち、危機感を感じたケバブは同盟国を探すことになる。
これにサウジアラビアインド側として参戦、そして直接的被害を被らなかったケバブ帝国は、秘密外交等で同盟国を集め、反UR同盟を結成した。これには一時的にURと同盟を結んでいたソビエト連邦をはじめとする社会主義陣営やスカンディナヴィア、友好国だと思われた日本なども加盟していたことから、URに対し大きな危機感をもたらすことになる。
しかし、ここに来てケバブ側反UR同盟でケバブ帝国は失言をしてしまう。ここまでの3週間、一切軍備をしていない事を同盟国へと通達してしまったのである。最初は「軍備を隠している」と思われたが、最後通牒の送付先であるURからの指摘により確実なものとなり、これにより信頼感を失ったケバブ帝国の同盟は次々と抜け出し、最終的には、ケバブ・トルコ・サウジインドの3国同盟となった。中にはURとの同盟を視野に入れた国も存在した。
ケバブ帝国は辞退宣言の後戦争をする金曜日までは国家運営を続けると表明したが、URから持ち出された
・これからでのUR-ケバブ間での不干渉
・UR-ケバブ間での不可侵
をケバブ帝国は受け入れ、最終的に実質的な戦争は発生せずに事態は終結した。
・これからでのUR-ケバブ間での不干渉
・UR-ケバブ間での不可侵
をケバブ帝国は受け入れ、最終的に実質的な戦争は発生せずに事態は終結した。
これによりケバブ帝国は周辺国での信頼を大きく失い、この後にケバブ帝国は日本=ケバブ戦争で領土を一部失ってしまった。
また、全体としてURと各国との緊張が緩和された。このことは、ケバブ帝国にとって政治的敗北と記録され、小規模ながら軍備を開始した。
また、全体としてURと各国との緊張が緩和された。このことは、ケバブ帝国にとって政治的敗北と記録され、小規模ながら軍備を開始した。
このページへのコメント
軍拡0は流石に笑った