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ブリタニア興亡記
アラン ジョンソン


北米大陸の南、今の中米連邦がある場所に、
かつて帝国が存在した。その名は、
「ブリタニア」
かの帝国は一時期、北米全体を領土に
することを望み、その望みは儚く潰えた。
その夢の塊 ブリタニアの興亡を追っていく。


夏の暑い日、その帝国は一夜にして築かれた。
当時 北米連盟最北端に位置するエスティオでは、人々は割と冷静であった。
「南の方に得体の知れない国が出来たな。」
それくらいの反応が世論の大多数であった。
しかし、ブリタニアと直接国境を接する
南部ディキシーランドでは、人々はかなり
不安を覚えていた。
ブリタニア政府は、公式には侵略等の意図は
ないと表明していたが、そう簡単に
信じられるものではなかったのだ。

建国からまもなく、ブリタニア政府のずさんな内政政策が明らかになった。
いや
ずさんなどというものではない。
ブリタニア政府は一切内政を
行わなかったのだ。
そしてブリタニアは北米連盟への加入を
申請してきたが、連盟は拒否した。
ブリタニアではその統治力の無さから
難民が日々国境を超えテキサスに侵入し、
またブリタニアが北米大陸の覇権を
握ろうとしているのは明らかだったからだ。


難民の数は日々増えていき、
南部ディキシーランドに限らず北米中で
問題になっていた。
ユスティーツアではブリタニア人が
製造業の雇用を奪いつつあり、エスティオではブリタニア人が地域コミュニティを混乱に陥れていた。ユスやディキシーランドでは、神に忠実な人々が圧倒的多数であるが、ブリタニア人は神ではなく皇帝を崇拝していた。
ディキシーランド、ユスティーツアでは、地域住民と難民の対立が決定的になった。


ついに北米議会が動いた。
この北米連盟始まって以来の危機に、
北米議会は党派を超えて結託した。
テキサス州の選出、クルーズ議員と、
ミシガン州の選出、ホワイト議員が
共同で、ブリタニア国境の壁の建設
を議会に要請した。
そして全会一致で可決された。


ブリタニア皇帝はこのことを敵対
と捉えた。そして彼はますます
自暴自棄になっていった。
そしてついに彼は一線を超えた。
アメリカ西部に入植したのだ。


このことを受け、北米連盟は
いよいよ本格的なブリタニアの
拡張主義が始まったと捉えた。
そしてワラキアの助言もあり、
北米連盟はブリタニアに
宣戦を布告した。


宣戦布告の通知を受け取るや否や
ブリタニア皇帝は即座に
国家を解体。
捨て台詞を残していった。


「貴様らいち組織ごときが偉大なる先住民族、
アメリカ人、ブリタニア人などの住む
北米を「我がもの」呼ばわりするなど
片腹痛いわ。」


かくしてブリタニアは滅びた。
今はその地には中米連邦が
成立している。
北米からブリタニアの傷跡が
消えるのはいつだろうか……

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