君も国家を運営しよう。

1919年 ベルリン講和会議においてスウェーデン王国のノルウェー併合が認められる→北欧王国の誕生
1929年 南北での経済格差の拡大、世界恐慌により北部で労働組合主導の大規模な暴動、及び貴族院制度の廃止を求めるデモが頻発し、政府、議会は圧力に屈し翌年の1930年に貴族院を上院に上院への立候補条件を満35歳の爵位を有する男子から満30歳以上の男女に切り替えることを発表
1930年 第一回上院選において南北の労働者の支持を得た社民党が大勝
1935年 ドイツやフランスでのファシスト台頭に感化されノルウェー南部で国粋派の台頭 6月クーデターによりノルウェーの自治権が認められる
1936年 社民党と保守派である王政党の歴史的和解 立憲王政党の成立
1938年 W.W.2. 開戦 戦時特別法に則りノルウェーの自治権を剥奪
連合王国は中立を保ち両陣営に鉄、石炭、石油を輸出
同年 北海油田を完全に独占
1943年 半島北部でファシストによるクーデター →失敗 第一次極北クーデター
1945年 WW2終戦 フランスファシスト残党の北部流入 フランスファシスト残党の支援を受けた北部ファシスト残党蜂起 第二次極北クーデター 1945〜1947
1946年 北海油田をめぐりイギリス(共産)と対立
南部でも小規模なノルウェーファシストの反乱
これを鎮圧するという名目でイギリス(共産)の侵攻を受ける
同年11月 これまで負け続けだったがノルヒェーピングの戦いで英国からの侵攻軍第1軍に壊滅的な打撃を与え渡河阻止に成功
同年12月 極北ファシストとの講和が成立 北方派遣軍を南部に派遣
共産イギリスとの前線が完全に膠着 オスロにて講和条約を結ぶ
南北からの攻勢に耐えることはできたものの勢力は完全に衰えスウェーデン地域のみの領有にとどまる
1952年 南部の再入植に成功するもノルウェー北部をフィンランド大公国に占領される
1956年 フィンランド=ノルウェー交換条約 フィンランド大公国亡命政府と締結
1961年 タスマニア政府と協力し半島南部をイギリス(共産)から奪還に成功
同年 スカンディナヴィア半島の完全統一に成功する
1973年 スウェーデン王家当主、ノルウェー王家当主、選出された王侯貴族、陸海軍大臣、首相からなる第七評議会の成立

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