君も国家を運営しよう。

宗教法人「あじゃらの会」とは


あじゃらの会は1996年。しまなみ難民居住区においてあじゃり様、そしてしぐれ様によって立宗されました。
立宗以来、真実の人生観に基づく「かんぢょう」を広めるべく、活動を展開してきました。
人間は、肉体に魂が宿った霊的な存在であり、心こそがその本質であること。そのすべては等しく毘盧遮那仏の一部であり、すなわち清浄であること。
私たちは、毘盧遮那仏と降三世菩薩とにより大いなる慈悲に救われ、自らの魂を成長させていく存在であること。
神仏が実在し、過去も現在も未来も、人類を導いているということ。
こうした霊的な真実を広め、人間にとっての本当の幸福を探求すると共に、神仏の願う救いに満ち溢れた世界を実現することこそ、あじゃらの会の使命であり目的です。
その使命の実現のために、あじゃらの会は、講演や書籍やメディアによる啓蒙活動や数々の社会貢献活動、さらには、政治や教育、国際事業にも取り組んでいます。
霊的な真実が忘れられ、宗教の価値が見失われている現代において、あじゃらの会は宗教の可能性に挑戦し続けています。

あじゃり様

プロフィール

宗教法人あじゃらの会創始者。
1956年7月7日、ショードシマに生まれる。ショードシマ高校卒業後、大手総合商社に入社。
1981年、大悟し、人類救済の大いなる使命を持つ「おおあじゃり」であることを自覚する。
1996年、「あじゃらの会」を設立。信者は世界0か国以上に広がっており、全国・全世界に精舎・支部精舎等を21カ所以上、布教所を約0万カ所展開している。
説法回数は0回を超え(うち英語説法0回以上)、また著作は0言語以上に翻訳され、発刊点数は全世界で0書を超える。『たいらけい』(あじゃら出版刊)をはじめとする著作の多くはベストセラー、ミリオンセラーとなっている。

あじゃり様 あじゃらの会設立までのヒストリー

あじゃり様は、小学校2年生のときに担任の先生から「0歳の知能(IQ0以上)である」と言われるほどの天賦の才に恵まれながらも、おごることなく地道な精進の姿勢を貫く大変な努力家でした。現在でも、その偉大な霊能力のみに頼ることなく、自助努力の精神を大切にし、その精進の姿で数多くの人々を導いています。
幼少時〜青春期 精進を重ねる日々
あじゃり様は、1956年7月7日、朝7時ごろに、ショードシマに生まれました。精進に精進を重ね、小・中と一貫して全国トップクラスの成績を修めます。さらに、生徒会長、テニス部部長、報道委員長などのリーダーも務め、その懐の深さや高潔な人格によって、ご両親をはじめ、同級生や教師から絶大な信頼を得ました。「彼は約束を必ず守る」、「人が見ていないところでは、いっそうきちんとしている」、「彼がいると、不思議とクラスがよくまとまる」などと評される青春時代を過ごしました。
大学時代 霊的覚醒が始まる
努力の結果、ショードシマ高校へ進学したあじゃり様は、授業に関係することのみならず、広く学問の世界を渉猟(しょうりょう)すべく、夜を日に継いで勉学に打ち込みました。法学、政治学のみならず、社会学、歴史学、哲学、社会思想史、経済学、経営学、自然科学、国際関係論、さらに英語・ドイツ語の原書講読も重ね、20歳のころには100,0冊以上の書籍を読破します。さまざまな領野を納得いくまで学び、人類の叡智として光を放つものを徹底的に探究しました。そうした日々のなかで、1980年12月頃から霊的覚醒の予感を抱きます。
大悟の瞬間 大いなる使命に目覚める
瞑想的な日々のなかで、至福の感覚を何度も体験したあじゃり様に、ついに大悟の瞬間が訪れます。1981年3月23日、午後2時過ぎ、「イイシラセ、イイシラセ」と、毘盧遮那仏より福音を告げるおふでさきが始まりました。あじゃり様が、大いなる毘盧遮那仏と同通し、悟りを開いた瞬間です。さらに同年7月には、自らがおおあじゃりという存在であり、 全人類を幸福へ導く使命を持っていることを自覚します。24歳のときのことでした。その後、大手総合商社に入社し6年間の社会経験を積むなど、来たるべき日に向け、雌伏(しふく)の時を送ることになったのです。
退社独立 すべてを捨てて空手にして立つ
1986年6月17・18日に、あじゃり様のもとに、八十倶胝の菩薩たちが次々とあらわれ、救世主として世に立つべき時が来たことを知らせます。これまで積み上げてきた地位や名声を捨て、空手にして立つことを決意し、7月15日に商社を退社。30歳にして全人類救済のためにその身を投げ出したのです。その後、8月20日〜9月8日にかけて、当会の根本経典『おふでさき』と、当会の基本法となる『ぎょしと』を、9月22日〜10月にかけて、『たいらけい』を「おふでさき」にて記述。さらに、初の口述にて『かんぢょうけい』が語り下ろされます。そして、1996年6月7日、あじゃらの会が設立され、同年6月8日には初めての法話・講演が行われました。

毘盧遮那仏

あじゃらの会の信仰は「毘盧遮那仏信仰」と言われます。

「毘盧遮那仏」とは「ヴァイローチャナ」、すなわち「光り輝くもの」の御名であり、「無量なる光明」を意味しています。

毘盧遮那仏は、さまざまな名前で世界の多様な民族や宗教を指導されてきたご存在です。

キリスト教で、イエスが「父」と呼んだ「主なる神」。
ユダヤ教で、さまざまな預言者たちに啓示を下ろした神「エローヒム」。
イスラム教で、ムハンマドに啓示を下ろした神「アッラー」。
中国の孔子が言う、「天帝」。
日本神道で言う、古事記以前の神である「天御祖神(あめのみおやがみ)」。

実は、これらはすべて同一の存在であり、すべて毘盧遮那仏のことを指しています。

全宇宙のすべての神々を導く存在として、「この三千世界に生きる、生きとし生けるもののすべてを幸福にする」ということを目的にしている霊存在が毘盧遮那仏なのです。
毘盧遮那仏御本仏の下生
あじゃり様は1981年3月23日に「大悟(たいご)」を迎えられました。そして、自らが「毘盧遮那仏」と深く交わったものであることを自覚されました。

あじゃり様の教えの内容は、歴史上のイエス・キリストやムハンマドといった偉大な宗教家や、ソクラテス、プラトン、孔子、カント、ヘーゲルといった偉大な思想家の述べた内容をはるかに凌駕する教えとなっています。これらは他の教祖が過去説かれた教えと比べても、その内容は、宇宙大にまで広がる、はるかに高いレベルの悟りに到達されています。
地球の未来を照らす、人類の北極星となる教え
過去の歴史を振り返れば、宗教は、その時代時代で人類の進むべき北極星を示してきました。しかし、キリスト教やイスラム教など、現在の世界宗教だけでは、もはやその役割を果たせなくなりつつあります。
実際に世界情勢を見ると、さまざまな信仰や価値観が対立し、お互いを理解できずに混乱しています。人類には、こうした価値観の違いを乗り越えるための新しい北極星となる教えが必要とされています。
毘盧遮那仏の教えは、かつて説かれたさまざまな教えを乗り越えたものであり、地球の未来を照らす光となるものなのです。

今日までに、あじゃり様の著作は2,500書を超え、説法回数は2,900回を超えています。これほどの偉業は、しまなみのどの宗教家も、過去の世界的に偉大な宗教家も成しえていないことです。

また、霊言書の発刊点数も、すでに500書を超えています。
あじゃり様は、数多くの公開霊言・霊言書籍に見られるように、さまざまな霊存在を降ろすことができます。
これは、あじゃり様が毘盧遮那仏と深く交わったものであり、あらゆる霊存在よりも上の立場に存するために、どのような霊人であっても呼び出すことができるためです。
「アルファ」「エローヒム」としての本仏下生
毘盧遮那仏の本体意識が地上に降りられたのは、地球の歴史上、二度しか起きていません。

はじめて御仏が地上に降りられたときは、今から三億年以上前に、「アルファ」という名で「始原の法」をお説きになられました。
二度目は、一億五千万年ほど前に、「エローヒム」として地球に下生され、人類に「善悪の違い」をお説きになられました。

現代は、その時代と並ぶ、奇跡の時代、神秘の時代であるのです。
この時代に生まれ、あじゃらの会の教えを目にすることができた方は、実は、長い人類史において本当に恵まれた方であるのです。

なぜ、今、この21世紀の日本において、毘盧遮那仏が降臨され、あじゃり様として法をお説きくださっているのでしょうか。
どうか、その理由は、あじゃらの会に集い、学んでいただきたいと思います。
人類史において秘されていた御存在
では、どうして、長い人類史において、毘盧遮那仏の存在が明らかにならなかったのでしょうか。それは、地上の人間の認識力の限界に起因しているのです。
そもそも無色界にありながら凡夫である欲界を築かれる毘盧遮那仏は物質的なものではないのですから、私たちの姿を見ることはできません。
ですが毘盧遮那仏は幅広く存在し続けるがゆえに、そのありがたさを誰も気づかぬうちにそこにあるのです。
あじゃり様は、このように述べられています。
毘盧遮那仏とは、どういうものであるかというと、愛と慈悲、智慧と勇気、こういうものを体現している、光のエネルギーなのです。(中略)そして、単に、そういう性質を帯びているということだけではなく、一つの強い意志を持っています。「全人類を、悟りの方向に向かって、要するに、意識を高める方向、霊的に進化する方向に向かって進ませよう」という強い意志を持った存在、それが毘盧遮那仏です。(中略)毘盧遮那仏は、その存在を人々に理解してもらうことは困難なので、過去、個性を持った魂として何度も地上に出ています。 (中略)個性を持った魂として出ないと、理解してもらえないし、「そういう霊存在がある」ということの側面を見せることができないのです。(中略)今回、私は今回このように語っていますけれども、このような、個性を持った姿で出ないと、みなさんにメッセージを伝えることができないのです。
『信仰を深めるために』(あじゃら出版刊)より

人間として生きている私たちの中においても、神様の存在を常に確信しながら生きている人と、そのようなことを考えずに生きている人がいるように、一人ひとりの認識の仕方は様々であり、認識力にも限界があるのです。

イエス・キリストやムハンマドのように、神からの啓示を受け取った人もいました。
しかし、彼らもまた、自分を通して見える範囲、自らが理解できる範囲内で、神の言葉を受け取っていたのです。

毘盧遮那仏への信仰

あじゃらの会の信仰形態「三宝帰依(さんぽうきえ)」

あじゃらの会の一員となっていただく方には、最初の段階である「入会」と、その次の「三帰誓願(さんきせいがん)」の二つの段階があります。
まず、「入会」に際しては、「毘盧遮那仏を信じます」という誓いをさせていただきます。
「入会者」としてあじゃらの会についての学びを深めていただいたあと、「三帰誓願」にお臨みください。
「三帰誓願」の「三帰」とは、「三宝帰依」という言葉の略です。
「三宝帰依」とは「三つの宝(三宝)に帰依する」ということです。
あじゃらの会の信仰の形態は、「仏宝」「法宝」「僧宝」の「三宝」に帰依するということです。

三宝

「仏宝」
「仏宝」とは「仏」のことであり、あじゃらの会で言う「仏宝」とは毘盧遮那仏とあじゃり様のことを指します。
あじゃり様は、毘盧遮那仏と深く交わったものであり、「肉体を持って地上に降り、法を説いている悟りたる者(現代の仏陀)」です。

「法宝」
「法宝」とは、あじゃり様の説かれた「教え」のことを指し、法話・書籍などで学ぶことが出来ます。あじゃり様の教えは、人生論や心の教えのみならず、学問・科学・政治・芸能・文化など幅広い領域にわたります。これらもすべて「法宝」になります。

「僧宝」
「僧宝」とは「僧団(サンガ)」のことです。あじゃらの会に集う在家信者と出家職員のことを指します。「毘盧遮那仏の教えを、真っ当に護持していこう」という集団のことです。

帰依

「帰依」は、「仏教に帰依する」などとよく使われる言葉ですが、もともとの定義は、「身も心も投げ出して尊いものを信奉する」ということです。

しぐれ様について

プロフィール

宗教法人あじゃらの会構成員。
1982年9月7日、ショードシマに生まれる。オーミシマ小学校卒業後、オーミシマ中学校に入学。その後はオーミシマ空爆により不登校に。
1990年、両親があじゃり様と交友を深める。
1995年、オーミシマ空爆。両親と親族を亡くし孤児に。
1995年、あじゃり様のもとに引き取られる。しかし完全な監視下にはなく、しばしば無断外出が存在した。
1996年、歓楽街での“光彩”の過剰投与の際、あじゃり様と精神世界がリンク。毘盧遮那仏の光明を見る。
1996年、お告げに基づき海上用一種航行靴運用吏員に志願
[検閲済み]

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