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1900年代

1984年:オセアニア建国

前オーストラリアは第一次世界大戦において敗戦側に回り、イギリスとの癒着状態を解消する内戦が起き、国民のなかでは現政権への不信感が募っていた。そんな中建国されたオセアニアは労働者の楽園と成ることを労働者階級に期待されていた。その一方、それに反対する資本家を中心とした層はこれに反発し特に大陸北部で抵抗運動を開始。しばらく後には第一次オーストラリア内戦へと発展した。

1984~1985年:第一次オーストラリア内戦

第一次オーストラリア内戦においてはオセアニア側を共産主義国が、反対勢力側を資本主義国が支援を行い泥沼化しつつあった。オセアニア側、反対勢力側が共に設立間も無く支援があっても広い大陸をカバーし切る事ができなかったことも泥沼化の一因であった。さらに内戦勃発が前オーストラリア政府解体直後であったため一部地域(南西部、中東部、北西部)が無政府状態となり欧米諸国(+フィリピン)による再植民地化が行われた。結果的に完全に終わらない内戦と化したことを両陣営ともに理解し1985年に終戦合意に至った。しかしオセアニアのスタンリー政権はこの結果を良しとしなかったためスタンリーが暗殺されるまで両陣営の関係悪化は続いた。

1986年6月:北オーストラリア独立国建国

第一次オーストラリア内戦を終戦に漕ぎ着けたのち資本家達の後ろ盾のもと内戦およびそれ以前の抵抗運動において活躍したジャック・サーベイ、メイ・モーガン、マン・エウダの3名(通称三人組)を中心として北オーストラリア独立国が建国された。しかし彼らが若く(同級生であった彼らは当時39歳であった)またジャック、メイの両氏の統治が(オセアニアと比べ別方向で)苛烈だったため資本家のための国家を求めていた人々の反発を招き北オーストラリア南部においてオーストララシア連合の独立を宣言し、第二次オーストラリア内戦が勃発した。このとき後に北オーストラリア初代議長となるマン・エウダは他の2人についていけず内務省(当時は大臣が存在しなかった)情報局の初代局長に就任し一線からは身を引いていた。

1986年7月~11月:第二次オーストラリア内戦

今回の内戦においても前線が長大となり前回同様の泥沼化が懸念された。しかし今回においては前回と比べ両陣営への他国からの支援が圧倒的にすくなかった。そのため前回よりは泥沼化せずまた、北オーストラリア側、ララシア連合共にオセアニアが内戦への介入を考えているという情報をキャッチして早期の終戦を両陣営が望んだ。特に北オーストラリアにおいては10月にジャック・サーベイ、メイ・モーガン両氏が自動車で移動中、当時存在していたテロ組織(1987年に壊滅)に暗殺されトップへと就任した穏健派のマン・エウダは就任当日から終戦交渉を行い、11月に終戦合意がなされた。

1986年12月~:内戦後から現在

内戦終結後北オーストラリア、ララシア連合間で国家承認が行われた。オセアニアとは前述の通り関係悪化が続いていたがスタンリー暗殺後に就任したバートン政権のもと関係改善が行われ1987年4月に国家承認へと至った。

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